勉強の思い出

会社員時代、「50年以上読み続けられている本」を読む勉強会が毎月あり、

若手(入社3年目くらいまで)の頃、参加していました。

若いころは、惰性(無意識の習慣)で生きてしまっていて、

「本かー、めんどくさいなぁ」

くらいの気持ちで参加していました。


事前に本を読んでいくことになっていたのですが、

あまり読まずに参加していました。

勉強会の最後に、感想を述べる時間があり、

「読んでないのに、感想なんて…」と思い、

その場しのぎに、

「勉強になりました…」

と答えたら、

「それだよ!」

え…?

本を読まずに参加している勉強会でほめられてしまった…。

そうなのか?と思い、それ以降は

「なんでも勉強になる」

と考えて生きるようにしています。

そして、実はそこから、子どものときのようにまた本を読むようになりました。


勉強をする

勉強になる

同じ「勉強」という言葉を使っていても、イメージが違ってきます。

「勉強をする」は行動。

「勉強になる」は結果であり、その瞬間は成果とは言えない。

その結果も「良い・悪い」で判断できず、過程や失敗も含めたもの。

勉強してなくても「勉強になりました…」っていう嘘がつけてしまう(^^;)

だけど、「勉強になる、ってこういうことか!」という過程が大切だったりするわけです。


勉強する理由を探す、というより、

「目の前にあるもので、勉強にならないものなど一つもない」

と考えられるか。

まずは、

「勉強になるなー」って嘘でもいいから言ってみよう(^^;)

周りの大人は心が動かされちゃうから。